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3月25日
フランス西部の古都ポアティエから南へ約60kmにあるバル・ドゥ・ビエンヌのサーキットに到着。
ドイツのデュッセルドルフから熊野さんとともにマシンを輸送して来たのだから疲れていないといったら嘘になる。
しかし今日からこのニューマシンに馴れるため5日間走り込みをしなければならない。
国内ではF1クラスで6年以上もレース活動をしていたわけだし、F2マシンでの参戦経験もあるのだが、果たしてこのニューマシン それもマン島仕様のマシンに5日間でどれだけ馴染めるか、また本場ヨーロッパのサイドカーレーサー達との技術の差とか考えると期待と不安がつのる。
すでにサーキットには各地から多くのサイドカーレーサーが集結していた。
早速ゲート近くに陣地をとり、偵察がてらちょこっと周囲を歩く。「日本からきたのか?」と聞かれる。
おぼえたてのフランス語で「ウィ!」と返事をすると、「そうか日本人なら熊野を知っているか?」と続けざまに聞かれる(とたぶん言っている)、熊野さんのビックネームを改めて感じる。

3月26日
いよいよシェイクダウン当日。
早朝よりマシンをセットアップする。テクニカルマネージャー熊野さんがガラガラ声で指示を飛ばす。
熊野さんは、パーツの遅れがたたり、マシン作りが押せ押せになってしまい連日の徹夜で声がガラガラになっていた。
何とか走れる状態にしてきたとは言うものの、そこは巨匠熊野 ☆3つのできばえ。
午後のコースインにスケジュールを合わせ各自分担しセッティングをはじめる。

少し遅い昼食後いよいよコースイン。
期待と不安が交錯する。エンジンは思っていた以上に軽い吹き上がりだった。
このエンジンはマシンのセットアップ用にテクニカルマネージャー熊野さんが作ってくれたエンジンで完熟走行期間で潰す予定だが、さすがサイドカーを熟知している巨匠熊野がこのために組んだだけあって、練習用といえど国内の本戦用に持って帰りたいできばえだった。

その心地よいエキゾーストノイズに背中を押されコースイン、熊野さんからの指示を確認しながら周回をはじめる。
マン島仕様のNew LCRは想像以上にハンドルが軽く、コーナーもF1タイプのカウルに助けられ横Gを肩と肘で受けられるので操縦性に問題はない。
あとはサイドカー独特の人間セッティングとでも言うのか? マシンとドライバーとパッセンジャーのコンビネーションを確認しながら徐々にスピードを上げていく。
パッセンジャー吉田選手もF1とは違いパッセンジャーの役割比重がかなり大きいことを身をもって体感しているようだ。
しかし日本とは違いソロ(単車)とサイドカーが混走しているため思ったラインで走れない!そんなときシフトのタイミングが合わずエンジンを止めてしまった。
走行中に違和感もあったので自走は避けマーシャルカーに牽引されピットに戻る。
原因は単にドライバーの操作ミスと判明、ついでに各部の増し締めを確認しスプロケもロングに換え再び走行。
快調に周回を重ねる。タイムは2"09。グランプリからマン島に参戦するロイジンガー組が2"00。
走行後、熊野さんからの指示はロイジンガー組のタイムを上回ることを現在の目標とし、明日以降完熟走行期間中に約1000〜1,500km(注:前回更新時15,000kmとありましたが左の通り訂正すると共にお詫び申し上げます。)をこのマシンで走りきる。1回の走行はマン島を想定し約50周程度としNew LCR F2マシンを熟知すること。というものだった。
ドライビングポジションチェック パッセンジャーポジションチェック いよいよコースイン 頻繁にピットに戻りデーター取りをする ソロとサイドカーが混走する

3月27日
我々はこれから30日の終了日までにマシンのセットアップとコンビネーションを完成させることに専念するつもりですので、その詳細は帰国後改めてご報告いたします。
以上

4月10日
バル・ドゥ・ビエンヌの結果
シェ−クダウンをかね、またレーシングサイドカーF2を短期間でどれだけ自分達のものにできるか!という課題で取り組んだ今回の遠征ですが、おかげさまでテストも順調におこなうことができました。
日々淡々とテストを繰り返し、結局 26日の午後から30日の午前中まで間にコースを200周以上を周回し、概ね目的を達成することができたと思っております。これもひとえに応援をしていただいた皆様方がチームの背中を押していただいたからだと感謝をしております。
遠征当初高ぶっていた気持ちも今は落ち着き、これからマン島の本戦に向け改善できる点は改善していくなど着々と目的に向かい作業を進めて参ります。
今後とも変わらぬご声援方よろしくお願いいたします。

追記
バル・ドゥ・ビエンヌではF1やF2マシンの他に下記写真でも解るように往年の旧式レーシングサイドカーも走っておりました。ヨーロッパとは歴史的なバックグランドが違うといえ、いつの日か日本でもサイドカーレース文化がより一層花開きカテゴリーを問わずヨーロッパに負けないほど多くのサイドカーレーサーが生まれることを切に思った次第です。

バル・ドゥ・ビエンヌ コレクション

バル・ドゥ・ビエンヌ コレクション 2


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